「本当に全部ボクが悪い」と自責する子供を健気だと妄想するだけに止まり、条件反射で母親を叩くから虐待の連鎖は止まらない。

あなたは、親に愛を求める子どもと、親に見捨てられることを恐怖する子どもの区別がつきますか?

asahi.com(朝日新聞社):6歳、捨てられてもたたかれても母をかばった 埼玉 - 社会 (cache) (はてブ) (2ch)

2008年8月21日6時9分
埼玉県三郷市の民家で3月、幼児3人が置き去りにされ、島村健太ちゃん(当時2)が死亡、双子の長女が負傷した事件で、保護責任者遺棄致死傷の罪に問われた母親の無職島村恵美被告(30)=同市早稲田2丁目=の初公判が20日、さいたま地裁であり、島村被告は起訴事実を大筋で認めた。動機については「育児の煩わしさから逃れ、交際男性との同棲(どうせい)生活を送るため」と指摘した検察側の主張に対し、「育児放棄になりやすい状況だった」とし、複合的な要因によると主張した。
検察側は冒頭陳述などで、島村被告は2月、双子の父親で名古屋に単身赴任中だった内縁の夫とは別に、近くの居酒屋店員と交際を開始。店員と2人で近くに借りたマンションで同棲したいと考えるようになり、3月3日ごろ、「ママはもう戻らない。後はよろしく。(妹と弟の)面倒見てね。おなかがすいたら電話をかけて」と言い残し、子どもを置き去りにしてマンションに移り住んだ、と指摘。
事件当時6歳だった長男が1日数十回、「弟や妹が泣いている」と電話で助けを求めたが、島村被告はせいぜい1日1〜2回、子どもたちのいる祖父母宅の玄関先に行って、ハンバーガーやパンなどの出来合いの食べ物を長男に渡すだけで、おむつ交換などをしなかったと指摘。児童相談所職員などとの面会も拒み続け、「20歳前半から育児に追われていたので、一人の女として自由になりたい」と供述したという。
一方、弁護側は、健太ちゃんが夜泣きがひどかったことや内縁の夫や実母らの支えもなく、「育児放棄になりやすい状況だった」と主張。「交際を始めたばかりの男性に癒やしを求め、育児放棄エスカレートした」と述べた。
起訴状によると、島村被告は店員と同居するため、3月3日以降、間借りしていた祖父母宅の3階の部屋に3人を放置。12日に健太ちゃんを脱水症や低栄養で餓死させ、長女に脱水症などで10日間のけがを負わせたとされる。
    ◇
この日、長い髪を後ろで結い、グレーのトレーナーにジャージー姿で入廷した島村被告。裁判長の問いかけに、小声で答え、うつむきながら落ち着かない様子だったが、検察側が長男の供述を紹介すると、あふれる涙をこらえることはできなかった。
「ママが作ったシチューやカレーが大好き」という長男。母親が去った感想を検察官が聞くと「我慢できなかった。さびしかったよ。何度も電話したけど全然出ない」と答えたという。
ゴミが散乱する部屋で出来合いのパンやハンバーガー、お菓子を買い与えられる日々。「残っていたご飯を食べようとしたら腐っていた。冷蔵庫もないから」。当時2歳の妹と弟を一生懸命笑わせようとしたが、長女が笑っても、「弟(健太ちゃん)はずっと泣いていた」という。
健太ちゃんの死を目の前にした島村被告は「お前はクビだ」と長男を平手で一発たたいたという。それでも長男は「本当に全部ボクが悪い。面倒みろと言われていたのに、全然お菓子とかあげないで」と母親をかばったという。

この事件に対しはてブ痛いニュースの頭のいいボクちゃんたちは一斉に母親を叩き、「ぜんぶボクが悪い」と自責する子供を「健気だ」「母親想いだ」と褒め称えている。
お花畑全開だな、と遺憾に思う。


この事件で子供が「ママは悪くない」と自責したのは、健気だからでもなければ、そもそも母親をかばおうとしたためでもない。


この子はただ、母親に見捨てられたくなかっただけだ。母親に許してほしかったから「自分が悪い」と言ったのだ。
ごめんなさいと謝れば、ママは僕のことを捨てないでくれるかもしれない、と思って。


自分が見捨てられないための方法として、その子が知っていた唯一の方法が「自分の意見を持たず、相手の命令すべてを受け入れること」だったのだろう。
独裁国家や民主主義国家などで国民が苦しい状態の時に「政府に媚を売ることで自分を救ってもらおう」という夢想からはじまるナショナリズム*1、人質にされた人間が犯人に媚を売って自分を見逃してor優遇してもらおうとするストックホルム症候群のようなものだ。


この子にとって唯一の拠り所である母親から捨てられることは、完全な孤独を意味したのだろう。
だから、母親に捨てられないように必死に謝るのだ。母親の言いつけどおり「面倒みろと言われていたのに、全然お菓子とかあげないで」と、“母親に対して”ごめんなさいと謝ったのだ。


もちろん下の子を死なせてしまったという罪悪感はあると思う。
そう仮定したとしても、それ以上に、この子は母親に対し謝罪をしたがっているのだ。
とてもじゃないが、健気だとか母親想いのいい子だとか、そういう笑い話でめでたしになるレベルの状態ではない。


明らかに心のケアが必要で、そして仮に満足な精神療法を受けられたとしても(おそらくは無理だろう)後遺症が残るであろうレベルだ。

母親にとって、子供はほしかったものではなく、必要な「モノ」だった

逆に母親はどうだろう。

検察側は冒頭陳述などで、島村被告は2月、双子の父親で名古屋に単身赴任中だった内縁の夫とは別に、近くの居酒屋店員と交際を開始。店員と2人で近くに借りたマンションで同棲したいと考えるようになり、3月3日ごろ、「ママはもう戻らない。後はよろしく。(妹と弟の)面倒見てね。おなかがすいたら電話をかけて」と言い残し、子どもを置き去りにしてマンションに移り住んだ、と指摘。

なんて非情な人間だと思うだろう。
子どもを三人(長子・双子)も産んで、双子の父親以外の男と同棲するために子どもを捨てた人間。


私だって、この人間のしたことはひどいと思う。
保育環境が整っていない・完璧に危険を想定できなかったせいでスノボパチンコの間に子どもを死なせてしまった親ならば擁護するが、
この件は明らかに親(母親だけではない)が「子どもは死ぬだろう」とわかっていて放置していた。


だが、それを理由に条件反射の怒りを向け全力で叩くのは少し待ってほしい。
そもそも自由に生きたいのであれば、この人間は子どもを産まなければよかったはずだ。
それなのにこの人は長子の父親(結婚していたかどうかは不明)との間にも、双子の父親(未婚)の間にも子を設けている。


おそらくだが、この人は付き合っていた男をつなぎとめるために子どもがほしかったのだと思う。
男と家族になるために、男が他の女に走って捨てられないように。
この人にとって、子供はほしかった「家族」ではなく、必要な「道具」だったんだろう。
そして新しく付き合い始めた男のご機嫌をとるために、今度は子供は見捨てる必要があったのだと思う。

捨てられたくない子供たち

結局は子も母親も、自分が拠り所にしている人間から見捨てられたくないから、なんとかしてその人をつなぎ止めたいから行動したのだ。
結果としては母親は子を殺し、子は母親をかばったが、本質としてはどちらにも同じ病理がある。


このままの状態で生き残った子供が大人になったとき、母親と同じような道を歩まないと誰が断言できるのだろうか。
今ここで大事なのは、ちゃんと子供が自分を肯定できる力をつけられるように支援することではないのか。


もちろん母親にも、他者への依存に溺れず自分を保てるように促せるべきだと思う。
私はこの子の保護者たちに償ってほしいと思っているが、それは法で課せられた義務を守らなかったからだけじゃない。
私は、彼らがないがしろにした3人に心から償ってほしいと思う。逮捕されたからではなく、大切な家族を失ってしまったんだと後悔してほしいと思っている。


もちろんこれはどうしようもない妄想で、私みたいにこんな夢物語を考えているバカがいるから虐待の再発*2が止まらないんだと思う。


最初にも申し上げたが、ただ単に母親を蔑み、子供を健気だと楽観し妄想することでは、虐待の連鎖は止まらない。
あなたたちがいい子だ健気だと楽観視して、その子の依存心やPTSDを放置しているうちに、その子は身体や与えられる権利だけ大人になり依存のために他者をも犠牲にできるようになる。
そのとき、またあなたたちは同じようにその子を責めつづけるのだろうか?


あの子は天使じゃない。あの母親は悪魔じゃない。
彼らは捨てられることを怖れ続けるあまりに、愛されることを知ることができなかっただけだ。
彼らは小説やマンガやゲームやドラマのキャラクターでもなければ、見世物でもないし
あなたの正義感(笑)や同情心(笑)を満たすためのおもちゃでもない。


全国の脳天気どもよ、これでもまだ無邪気にあの子をペット扱いできますか?


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
あの事件に対する感情的な条件反射の数々にどうしても耐え切れなくなって同じように条件反射で書きはじめてしまったものですが、
こういう風に思った奴もいるんだな、と感じてくださったなら嬉しいです。


もし、あなたの周りにそういう子がいたら、甘やかさずに優しくしてあげてください。
そしてできれば、児童相談所や警察への通報をしてあげてください。

補足・虐待の連鎖について

虐待の連鎖についてご指摘がありましたので補足します。
こんなタイトルで文章を書いておいてなんですが、私自身も世間で言われる虐待の世代間伝達(親から子への遺伝)はないと思っております。
むしろ世間やマスコミによる虐待の連鎖の重圧に圧され、閉鎖的な家庭環境になってしまった結果、誰にも助けを求めることができずに虐待になってしまい、更に頭のよろしい方々に追い討ちで叩かれるケースが少なからずあると思います。


ただ、このケースの被害者を含めて(私の妄想による分析もどきですが)虐待によるPTSD(トラウマ)は程度の差こそありますが必ずあると思われます。
それなのに周囲が治療が必要であるはずの子どもを神聖視するばかりでは、いずれ別の形の自傷行為として表面化することになると思います*3
その説明をする際に一番わかりやすいフレーズが「虐待の連鎖」であり、虐待の連鎖とすることで解決策を提示しやすくなった面がありました。


要は、世間で言われるところの「虐待の連鎖」に対するアンチテーゼであり、虐待の連鎖は親子の関係で起こるものではなく、周囲からの環境とも関係しているんじゃないですか、
それならその親子の内面に問題を追及するばかりではなく、周囲の取り組みを帰ることで防げるんじゃないですか、という警鐘を鳴らした積りでした。


また、今回の文章で述べている虐待の連鎖には、繰り返される虐待、という意味もあります。


今回の事件も、かなり以前から保護者による育児放棄(ネグレクト)や暴力を含めた虐待が起こっていました。周囲が手を出せないでいるうちに*4、少しづつエスカレートしていくこともまた「虐待の連鎖」だと私は思います。
どこかで断ち切られていれば、あの子は死ななくて済んだかもしれません。あのきょうだいが、目の前で家族が餓死していくさまを見る事など無かったかもしれません。


もちろん事が終わってしまった後からの話です。でも、今でも必ずどこかで虐待は起きています。そうなったときに他人事だと思わずに、まだ救われるかもしれないと警察や児童相談所に通報してほしいと思います。
正義のヒーローはいりません。でも、手助けは必要としています。

*1:第二次世界大戦ナチスドイツ、現在の北朝鮮や日本の貧困層を想像してもらえればいい

*2:虐待され保護されていた児童が保護者の元に戻されることで虐待が再発し、多くの場合より酷いものになること

*3:あくまでも自傷行為は問題の表面化であって、解決すべきは問題の根源そのものです。

*4:児童相談所の担当者の方にできることは限りがあります