僕は毎日この手を使わずに人を殺しています。

家に回線がつながっていないせいで日記更新できないよママーん。
携帯で文字打ってくの面倒くさいんだよー(じたばた)


こんにちは。さりげなくグロッキー気味の牧波昆布郎です。


さて今日は趣向を変えまして、少しまじめな話をしてみたいと思います。
何せ今日は8月6日。われら人間が初めて核兵器を使って人間を殺した日なのですから。
(ついでに、柏木様の柏木的日記にトラックバックしてみました。)



私がたまぁぁぁぁぁぁに戦争のことについて考えるとき
必ず思い出すのが、ビックリマン2000のアニメだったりします。

ビックリマン2000 星騎使編(4) [VHS]

ビックリマン2000 星騎使編(4) [VHS]


何で戦争は起こるのでしょうか?
何で戦争では人と人とが殺しあうのでしょうか?


かのアインシュタイン
「私に敵がいて、その敵の目的が私や私の家族を無条件に抹殺しようとしている場合」
に限り、暴力を行うことが正当であると述べたそうです。


ビックリマン2000を見ていた人なら気が付くかもしれませんが、
この言葉と同じような意味の台詞が主人公・タケルの口から発せられているんです。

タケル「殴られたら痛いだろ?
    ふんずけられたら悔しいだろ?
    デビルは自分の復活だけのためにみんなを踏みつけた。
    俺たちの痛みを笑った。
    やられっぱなしでいいわけないだろ!」


日常のすべてにおいて、
人々はこのような意識をもっているのであろうと私は感じています。


そしてその延長線上に、戦争への考え方があると感じています。


戦争では、人間が人間を殺します。
銃や刀、戦車やミサイル、枯葉剤など、殺戮兵器はバラエティにとんでいますが、
人間が人間を殺す。その原則だけは変わりません。


そしてその殺戮が「正当化される」戦争の現場では、
「殺さなければ、殺される」という原則が存在しています。


だから人間は人間を殺します。
そして人を殺したことは「正しい報復」として、
「国のため、人類のための善行」として、もてはやされます。


だって、殺さなくては殺されてしまうのですから。
殺すことで「自分たちを殺しにくる、悪」を成敗することができるのですから。


そう考えると、戦争のシステムを考えた人間はとても賢いと思います。
現地の人間を恐怖と混乱と緊張の中に置くことで、
自分の手を汚さずに利潤を得ることができるのですから。


ビックリマン2000では、
非道の限りを尽くした悪の親玉を主人公が殺して、物語が終結に向かいました。
たいていの物語であれば、そこでめでたしめでたしとなって締めくくるのでしょう。


しかし、このアニメではそこからさらに一歩踏み込んで、
「答え」を出したはずの主人公・タケルにひとつの質問を投げかけました。

ダーツ「力をもって、争いを……」
タケル「(遮って、苦渋の表情で)誰かを、
    守るために剣を取らなきゃいけないことだってある……そうだろ!?」


「もう迷わないよ」と「答え」を出したはずの主人公・タケルは、
ダーツの問いかけを最後まで聞かず、打ち消すかのように否定しました。


「殺さなければ殺される」という状況のあとに、主人公が話した言葉。
そのときの苦しそうな表情が、今も牧波さんの脳内にとどまっています。


ところであの時ダーツは、親玉・ベールガイストに対して何をしようとしていたのでしょう?
争わずに、殺さずに。どんな方法で歴史を作ろうとしたのでしょう?
最後にダーツの言葉を引用して締めくくりたいと思います。
あなたならどう思いますか?

ダーツ「争いをもって歴史を重ねることは……もう、やめましょう」
   「私は、戦わずして、この邪(よこし)まな思いをうち消したいのです」