ひどすぎるamazonの「ブレンダと呼ばれた少年」レビュー

ブレンダと呼ばれた少年

ブレンダと呼ばれた少年


amazonの書評に「解説者によって原作者が意図しない方向へ歪められた本, 2005/10/26」
というタイトルのレビューが新たに加わったようです。


この本に関する牧波さんの見解は以下を御参照ください。
『ブレンダと呼ばれた少年』は『ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた』のか――「新しい歴史教科書をつくる会」会長八木秀次氏による扶桑社版だけの『解説』から


まずは結論から。
ひどすぎです。1個づつ突っ込みをいれます。

どうやらジェンダーフリーバッシング(英語ではbacklash)を盛り上げる目的で扶桑社から出版されたようだ。

証拠はあるんですか?
「ようだ」というのはフェミニスト隠蔽陰謀説を唱える人達も使っている言葉ですよね。

原書の元々の内容は、
一人の男性がジョン・マネーという性科学者により生物学的に曖昧な立場にされてしまうことで自分のアイデンティティが混乱してしまい
どのような悲劇的な人生を余儀なくされたか、またどのようにアイデンティティを取り戻したか、というとても重いテーマを扱っているのだが、

デイヴィット・レイマ−氏は「生物学的に曖昧な立場にされ」たのではなく、
女性としてのジェンダーロール(gender roll/社会的性別役割)を強制されたのです。
男性/女性という立場で「曖昧」とするのもジェンダーバイアス(gender bias/社会的性別に基づく偏見)です。

この扶桑社版では、八木 秀次氏による非常に偏見に満ちた解説を加えており、恐らく自分の頭で考えない人が読んだら
言われたとおり信じてしまうかも知れない。

巻末に掲載された八木秀次氏の文章はとても解説と呼べるものではありません。
だいたいあの文章って全くといっていいほど本書に触れてないじゃないですか。
あれはジェンダーフリーjender free/性差の否定、事実確認されていない過激な性教育:gender freeとは異なる)の解説だと思います。

ジェンダーフリーが意味することは「ジェンダー(社会・文化的に作られる性差)にとらわれない生き方を目指そう」ということであって、
人によっては勝手に「性差否定」などと理解しているようだが、
生物学的な性差(女性は生理があるなど)を否定することは不可能であると考えれば分かるであろう。

人によっては勝手に「女性なら必ず生理がある」などと理解しているようですが。
こういった思い込みや信仰もジェンダーバイアスに囚われていると思います。
デイヴィット・レイマー氏が女性として育てられた理由も、考えれば分かると思いますが。

八木 秀次氏は10/10の毎日新聞朝刊で皇位継承問題について発言しており、
女系天皇は正当性に問題がある、宮家の復帰を」と訴えているが、国民の多数は女系天皇を容認しており、
25日の皇室典範に関する有識者会議では容認が全会一致で決められている。
八木 秀次氏がこれからもジェンダーフリーバッシングを盛り上げ、
家父長制の復帰を唱えれば唱えるほど賛同者は少数になるであろうと容易に予想される。

なぜいきなり天皇一族?なんか関係あるんですか?
双児の症例で絶対視されていた「新生児は18〜24ヶ月までは性自認に関して白紙だから〜」
とかいう理由で、跡継ぎ予定の愛子さんが性別再判定手術でもさせられようとしているんですか?


男女共同参画政策叩きに「As Nature Made Him」を使っているレビューも酷いけど、
このレビューも同じくらい酷いと、私は思います。


八木氏の主張も、このレビュア−さんの主張も、
デイヴィト・レイマー氏の半生を自分の好きなように捩じ曲げて、
自分の主張に取り込んでいる点でまったく同類です。


いったい貴様たちはデイヴィット・レイマ−氏の存在を何だと思ってるんですか?


もう本当にお願いします。
これ以上、デイヴィット・レイマー氏をモルモットにしないでください。