急がば回れと言っておくれ。

ちょっと伝を利用して

性の署名―問い直される男と女の意味

性の署名―問い直される男と女の意味

を、人様から借りることができました。
(現在、絶版になっているみたいです。)


ダイアモンド氏にメールを送る前に、
マネー氏の研究に関してはきちんと確認したいと思います。
ごめん……なさい……また……おそくなります……

あと、これは牧波さんのメモなのですが。

マネーの双児の症例で証明されたとされていたものは、

  • 2さいまでの子どもはすべて、マネー氏が主張した半陰陽者の例が示すように(2005/11/21 訂正)性自認性役割も含む)が白紙(言語と同じころに習得する)。
  • だから、養育によっては性自認性役割も含む)を「女」にもできるし、「男」にもできる。
  • 「女」でも「男」でもない半陰陽の子どもだって、どちらかにできる。(2005/11/21 訂正)
  • つまり2歳までならば、どちらか(どちらでも、ではないという点に注意)の性自認性役割も含む)を身につけさせることができる。
  • あいまいな半陰陽のこどもだって、女か男どちらかに別けることが可能。(2005/11/21 訂正)

つまりある人間に対して、「自分は男だ+男らしさ」という意識
または「自分は女だ+女らしさ」という意識を身につけさせることができる。
ということだと思います。


これは言ってしまえば、「人間を男女のどちらかに振り別ける」行為ですよね。
それにやはり「女は女らしく」することがありのままであり、
「男は男らしく」することが当然だという考え方です。


「男らしさ」「女らしさ」はあたりまえのものだけど、
「生得的ではない」という点で異なっているみたいです。

では対して、ジェンダーフリーの考えはどうでしょうか。


新しい歴史教科書をつくる会」会長八木秀次大センセーが、
邦訳版「As Nature Made Him」の巻末にお描きになられた、
”解説という名前の付いたデタラメ読書妄想文”にて批判されていた
「まぁるいテーブル35号(特集 生まれたときはジェンダー・フリー)」
を、牧波さんは実際に読んでみました。*1

ジェンダー”それは、「社会的・文化的につくりあげられた性」であり、いわゆる“男らしく”“女らしく”ということを私たちは当然のごとく教え込まれてきました。
 生まれたての赤ん坊に〜らしくはありません。しかし、すぐに女の子だからピンクの服をと、一つひとつジェンダーがすり込まれていくのです。
 〜らしくではなく、“自分らしく”生きるためにも、ジェンダーについて考えてみましょう。


たしかに「女らしさ」「男らしさ」は生得的なものでは無いという主張のようです。
しかしちゃんと読めば、この文章の主旨は、双児の症例によって証明されたとされていたものとは全く違うものであることがわかります。


それは、「〜らしくではなく、“自分らしく”生きる」という点です。
この文章によれば、「男らしさ」か「女らしさ」のどちらかを身につけさせようとしている訳では無く、
逆に自分らしく生きるために、今まで当たり前だと思われていた*2「女らしさ」や「男らしさ」という概念について、考えてみましょう、と提案しているのです。


私にはこの文章が、誰かに「男らしさ」や「女らしさ」を身につけさせようとしているよう促しているとはとても考えられません。
ましてや、「2歳未満の子にどちらかの“らしさ”を身につけさせよう」などと促しているようには、もっと思えません。


更に言えば、自分を「男/女だと思うか」について、「生得的に決まる」とも「後天的に決まる」とも、書いてありませんし、
もちろん「2歳未満の子なら自由にどちらかに変更できる」なんてのも書いてありません。


以上がちょっとしたメモでした。
ジェンダーフリーに関してはまだまだ全然解っていない状態ですが;
なるたけ早めに論理としてまとめられるようにします。

追記(2005/11/21)

macskaさんより、コメント欄にてマネー氏の性自認白紙説に関連した経緯に関してのご指摘を戴きました。
以下に『ブレンダと呼ばれた少年』より、該当すると思われる部分を引用しました。

マネーとハンプソン夫妻は、幼児から成人にかけて、一三一人の半陰陽者を検査した。そして研究者たちのリーダーであり、そのチームが出版するレポートの著者であるマネーは、生殖器のあいまいさや性染色体の構造においてまったく同様であると診断された半陰陽者たちが、それぞれ反対の性として育てられたという驚くべき事実を発表した。
 報告によると、それらの患者の九五%は、男の子として育てられようが女の子として育てられようが、心理学上健全に成長したという。マネーはそれらの患者のグループを「対等のペア」と呼び、半陰陽者の子供の性のアイデンティティを決定づける主要因は生物学的なものではなく、その子供がどう育てられたかであり、彼らこそ画素の証拠であると主張した。*3

環境寄りのこの意見を証明するため、マネーは半陰陽者における「対等のペア」原則をくりかえし引きあいに出し、同様の症状を持つ半陰陽の患者のペアが、それぞれ反対の性として育てられ、うまく成功したと主張した。
 しかし注意深い読者であれば、半陰陽者たちの例で人間の性の発達をすべて説明できるという、マネーらしからぬ強引な主張に驚かれるだろう。実際、マネーはその本の半ばあたりまで、性の研究においてはつねにいらだたしいまでの制約が存在し、研究者たちが人間の性心理の分化という謎にたいする決定的な答えを導きだすのを妨げていると嘆いている。
ジェンダーアイデンティティの分化は、性染色体や性ホルモンパターン、あるいは出生後のホルモンレベルによってあらかじめ定められているわけではない。その仮説を証明する究極の実験は、正常な新生児を使った実験に動物実験と同じ倫理的な自由が与えられれば、すぐにでも実行に移されるだろう」とマネーは書いている。「計画的な実験が倫理上問題外ということであれば、研究者は、たとえば正常な男の子のの赤ん坊が包茎切除手術における事故でペニスを失うといったような、予想外の機会を利用するしか方法がない」
 そしてそんなおり、マネーは発育上正常な赤ん坊ににたいして実験を行う「予想外の機会」が訪れたことを明らかにした。*4

*1:板橋区男女共同参画課の職員様に譲って戴きました……ありがとうございます!

*2:この冊子は2001年に発行されました

*3:ブレンダと呼ばれた少年』(p.47-48) 

*4:ブレンダと呼ばれた少年』(p.89-90)