銀魂 第百二十三訓「女の一番の化粧は笑顔」感想:九ちゃんを傷つけ続けた柳生家の問題が、何一つ解決されなかった件について

以前書いた銀魂 第百二十訓「間違いは誰にでもある」感想:「男も女も越えた」「愛」というオブラートで、問題の核心を誤魔化し続ける柳生家に喝を入れる - こんぶダイアリー 武藤三法流華睡葬で往きたい人のブログの続きです。一応、前のエントリには適当なあらすじなどもございます。
んで、ここからはネタばれです。ついでに今週の銀魂に感動した人は読まない方がいいかも。

九ちゃんの周りにいる人間が護っていたもの

なんか今週の締め方はあまりにも感動的で思わず流されそうになってしまうけれど。
これだけははっきりさせておきたい。
九ちゃんの周りにいた人間――父親、祖父母など――
彼らが護りたかったものは、九ちゃん自身ではない。
彼らが護りたかったものは、「柳生家」というブランドだ。


彼らは九ちゃんのことを見ようともしなかった。

  • 幼い九ちゃんに「男」を押し付けたのも*1
  • 九ちゃんが選んだお妙との婚姻を、「女だから」という理由で阻害したのも。
  • その逆に、九ちゃんの苦悩の原因を「性別を超えた愛」というオブラートで誤魔化し続けたのも。

九ちゃんに向けられたこれらの「善意」の行動は、
彼らの護りたかったものが九ちゃんではなく「柳生家」であること(現在進行形)
を何よりも証明する。
つまり九ちゃんは、最初から最後まで「柳生家」というブランドに執着し続けたチンカスヤローどもの犠牲者だったのだ。

余談

この「柳生編」が収録されたコミックスが発売したら、私は迷わずに買うつもりでいました。
今週の話を読むまでは。
作者さんに何の意図があったのかは分からないけれど。
私はこの結末を最低、つーか、クズとかウンコとかの称号にふさわしいんじゃね?思いました。


いや、もしかしたら某国家宗狂関係の方々からの「ご意見」があったのかもしれませんがね。

*1:しつこいようだが、誰かに対して勝手に「女」を押し付けりゃいいってもんで“も”ないよー