『ブレンダと呼ばれた少年』は『ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた』のか――「新しい歴史教科書をつくる会」会長八木秀次氏による扶桑社版だけの『解説』から

はじめに

 「ある一卵性双生児の片割れが、生後8ヵ月のときに行われた割礼手術の事故によってペニスを失った。ペニスを失った方を女性として育てたところ、ごく普通の女性として育っていった。(ペニスを失わず、男性として育てられた)もう片方はごく普通の男性として育っている。(1」
 ジョン・マネー氏(1はこの『双子の症例(1』を1972年に発表した。『双子の症例』は『性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠(1』として、多くの人々に20年以上にわって支持され続けた。しかし、後にミルトン・ダイアモンド氏が行った追跡調査によって、『双子の症例』の真実が明らかとなった。
 「『双子の症例』にて取り上げられた、「女性として育てられた乳児」のその後を追跡調査した。すると、この患者は幼少のころから男性としての自覚を持っており、仕草なども男性的であったことがわかった。この患者は15歳の時に陰茎形成手術を受け、以後は男性として生きている。(1」
 1997年に発表された、この『ジョン/ジョアン事例(1』論文によって、マネー氏の『双子の症例』が“嘘”であったことが明らかとなった。
 そして2000年2月、『双子の症例』と『ジョン/ジョアン事例』で取り上げられた、デイヴィット・レイマー氏に関するノンフィクション(nonfiction/事実に即して作られた作品)『As Nature Made Him』が米国にて発売された。日本では「ブレンダと呼ばれた少年」という邦題で無名舎より2000年10月に発売されていたが、絶版となった。その後2005年5月にフジサンケイグループの扶桑社より再販され、現在に至る。

問題提起

 扶桑社から再販された『ブレンダと呼ばれた少年』には、新たに「新しい歴史教科書をつくる会」の会長である八木秀次氏(3による『解説(3』が新たに付け加えられた。10ページにも渡る『解説(3』の概要は以下の通りである。
 「ジェンダーフリー男女共同参画政策を主張するフェミニストたちの論説の根拠は、ジョン・マネーの『新生児は性心理において完全に白紙の状態で生まれてくるのであり、男に育てれば男となり、女として育てれば女になるという学説(3』を証明していた『双子の症例』にあった。しかし、なぜか絶版となっていた『ブレンダと呼ばれた少年』が扶桑社から復刊されたことによって『双子の症例』の嘘は判明した。ゆえにマネーの『双子の症例』に依拠していた男女共同参画政策(4は抜本的な見直しをするべきである」。
 産経新聞世界日報参議院議員である山谷えり子氏も『ブレンダと呼ばれた少年』を根拠としての「ジェンダーフリー批判」を行っている。
 さらに、インターネット上では『日本のフェミニストの一部はその「ブレンダ事件」を隠して未だに彼の説を論拠としており、日本でもこの事件については学会や出版界に圧力がかかり、ひたすら隠蔽されている(5』といった「陰謀説」まで現れている。 
 今回、私は八木氏らの主張する『双子の症例』と「ジェンダーフリー男女共同参画社会政策」との関連性について、またインターネットの「陰謀説」に関しての調査を行った。
 念のため。このレポート(report/報告書)はあくまでも『双子の症例』と『男女共同参画社会政策』や「ジェンダーフリー」との関連性の有無について書いたものである。私はこのレポートの中で『男女共同参画社会政策』や「ジェンダーフリー」の是非を問うつもりは一切ない。

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と、いうわけで。

前回の日記で、『ブレンダと呼ばれた少年』に関するジェンダー論争について書いた(つもり)牧波さんですが、気がつけばいつの間にやら、調査してレポートにまとめてしまっていた自分がいました。びっくり。
このレポートを書いたことで、今までデイヴィットレイマー氏をモルモット程度にしか思っていなかった牧波さんも、「レイマー氏は実際に生きていた人間なんだ」ということを少しだけだけど理解できた気がします。たぶん。


デイヴィット・レイマー氏が女の子として育てられたのは、「男か女か」っていう考え方に基づいていたんだと思います。
現代の日本でインターセクシュアルと呼ばれる状態の乳児が出生したときに大騒ぎになるのも、「男か女か」っていう意識に基づいているんだと思います。
最終的にデイヴィット氏が両親のことを「憎んでない」と言えたのはきっと、彼の両親が、彼のことを「男(ジョン)か女(ジョアン)か」としてみるのではなく、「デイヴィットだ」と、本人自身なんだと見ていたこともあると思います。
マイノリティ(少数者)と定義される人々の多くが、両親を憎んでいたり、両親と絶縁状態にあったりすることを考えると、デイヴィット氏がコピラント氏のインタビューに対して、両親のことを肯定的に語ったことは、とても大きいことだと思います。何が大きいのかは自分でもわからないんですが。


ともかく、牧波さんが一番言いたいのは、『ジョン/ジョアン事例』はジェンダーフリーのうそを暴かないから、バッシングに使っても意味がないよ、だから別のものを使ってください、ということです。
もうこれ以上、レイマー氏をモルモットにしないでほしい。それだけです。