と、いうわけで。

前回の日記で、『ブレンダと呼ばれた少年』に関するジェンダー論争について書いた(つもり)牧波さんですが、気がつけばいつの間にやら、調査してレポートにまとめてしまっていた自分がいました。びっくり。
このレポートを書いたことで、今までデイヴィットレイマー氏をモルモット程度にしか思っていなかった牧波さんも、「レイマー氏は実際に生きていた人間なんだ」ということを少しだけだけど理解できた気がします。たぶん。


デイヴィット・レイマー氏が女の子として育てられたのは、「男か女か」っていう考え方に基づいていたんだと思います。
現代の日本でインターセクシュアルと呼ばれる状態の乳児が出生したときに大騒ぎになるのも、「男か女か」っていう意識に基づいているんだと思います。
最終的にデイヴィット氏が両親のことを「憎んでない」と言えたのはきっと、彼の両親が、彼のことを「男(ジョン)か女(ジョアン)か」としてみるのではなく、「デイヴィットだ」と、本人自身なんだと見ていたこともあると思います。
マイノリティ(少数者)と定義される人々の多くが、両親を憎んでいたり、両親と絶縁状態にあったりすることを考えると、デイヴィット氏がコピラント氏のインタビューに対して、両親のことを肯定的に語ったことは、とても大きいことだと思います。何が大きいのかは自分でもわからないんですが。


ともかく、牧波さんが一番言いたいのは、『ジョン/ジョアン事例』はジェンダーフリーのうそを暴かないから、バッシングに使っても意味がないよ、だから別のものを使ってください、ということです。
もうこれ以上、レイマー氏をモルモットにしないでほしい。それだけです。