『ブレンダと呼ばれた少年』は『ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた』のか――「新しい歴史教科書をつくる会」会長八木秀次氏による扶桑社版だけの『解説』から

はじめに

 「ある一卵性双生児の片割れが、生後8ヵ月のときに行われた割礼手術の事故によってペニスを失った。ペニスを失った方を女性として育てたところ、ごく普通の女性として育っていった。(ペニスを失わず、男性として育てられた)もう片方はごく普通の男性として育っている。(1」
 ジョン・マネー氏(1はこの『双子の症例(1』を1972年に発表した。『双子の症例』は『性の分化において、生物学的な要素より環境に優位性があることを証明する揺るぎない証拠(1』として、多くの人々に20年以上にわって支持され続けた。しかし、後にミルトン・ダイアモンド氏が行った追跡調査によって、『双子の症例』の真実が明らかとなった。
 「『双子の症例』にて取り上げられた、「女性として育てられた乳児」のその後を追跡調査した。すると、この患者は幼少のころから男性としての自覚を持っており、仕草なども男性的であったことがわかった。この患者は15歳の時に陰茎形成手術を受け、以後は男性として生きている。(1」
 1997年に発表された、この『ジョン/ジョアン事例(1』論文によって、マネー氏の『双子の症例』が“嘘”であったことが明らかとなった。
 そして2000年2月、『双子の症例』と『ジョン/ジョアン事例』で取り上げられた、デイヴィット・レイマー氏に関するノンフィクション(nonfiction/事実に即して作られた作品)『As Nature Made Him』が米国にて発売された。日本では「ブレンダと呼ばれた少年」という邦題で無名舎より2000年10月に発売されていたが、絶版となった。その後2005年5月にフジサンケイグループの扶桑社より再販され、現在に至る。

問題提起

 扶桑社から再販された『ブレンダと呼ばれた少年』には、新たに「新しい歴史教科書をつくる会」の会長である八木秀次氏(3による『解説(3』が新たに付け加えられた。10ページにも渡る『解説(3』の概要は以下の通りである。
 「ジェンダーフリー男女共同参画政策を主張するフェミニストたちの論説の根拠は、ジョン・マネーの『新生児は性心理において完全に白紙の状態で生まれてくるのであり、男に育てれば男となり、女として育てれば女になるという学説(3』を証明していた『双子の症例』にあった。しかし、なぜか絶版となっていた『ブレンダと呼ばれた少年』が扶桑社から復刊されたことによって『双子の症例』の嘘は判明した。ゆえにマネーの『双子の症例』に依拠していた男女共同参画政策(4は抜本的な見直しをするべきである」。
 産経新聞世界日報参議院議員である山谷えり子氏も『ブレンダと呼ばれた少年』を根拠としての「ジェンダーフリー批判」を行っている。
 さらに、インターネット上では『日本のフェミニストの一部はその「ブレンダ事件」を隠して未だに彼の説を論拠としており、日本でもこの事件については学会や出版界に圧力がかかり、ひたすら隠蔽されている(5』といった「陰謀説」まで現れている。 
 今回、私は八木氏らの主張する『双子の症例』と「ジェンダーフリー男女共同参画社会政策」との関連性について、またインターネットの「陰謀説」に関しての調査を行った。
 念のため。このレポート(report/報告書)はあくまでも『双子の症例』と『男女共同参画社会政策』や「ジェンダーフリー」との関連性の有無について書いたものである。私はこのレポートの中で『男女共同参画社会政策』や「ジェンダーフリー」の是非を問うつもりは一切ない。

検証

1、『双子の症例』についての検証

 私は最初に、マネー氏が『双子の症例』を通して証明しようとしたものを検証した。
 1952年、マネー氏は性転換に関心を持ち始めた。『生物学的に男性の構造と性器を持って生まれたヨルゲンセンは、性染色体、生殖腺、性ホルモンと、どれをとっても解剖学的には男性であるのに、のちに自己を女性として認識するようになった(1』という『ヨルゲンセンの症例からマネーが見出したのは、ジェンダーアイデンティティを決定するのは生得上のものではなく、環境であるという理論の揺るぎない証拠に他ならなかった(1』。またマネー氏はインターセクシュアル(intersexual/半陰陽)と呼ばれる(7-9『さまざまなかたちで内性器および外性器に異常を持って生まれてくる(1』人々についての研究を通じて、『それらの患者の九五%は男の子として育てられようが女の子として育てられようが、心理学上健全に成長した(1』ことを発見し、発表した。そして『半陰陽者の子供の性のアイデンティティを決定づける主要因は生物学的なものではなく、その子供がどう育てられたかであり、彼らこそがその証拠であると主張した(1』。
 このときマネー氏は、現在の日本では性同一性障害インターセクシュアルと呼ばれる事例(2, 6-10から、「ジェンダー」とは生まれつきではなく育ちによって、出生後の18〜24ヶ月の間までに確立する(11という理論を発表したのである。
 ちなみに、この時点でマネー氏が使った「ジェンダー」は「自分のことを女性だと思うか、それとも男性だと思うか」という意味のものである。この意味での「ジェンダー」は、現代では「ジェンダーアイデンティティ(gender identity/性自認、性同一性)」や「性の自認」と呼ばれている。(2, 6, 7
 つまり、マネー氏が『双子の症例』で証明しようとしたものは、全ての人間において「自分のことを女性だと思うか、それとも男性だと思うか」という「性の自認」は生まれつきのものではなく、出生後に男として育てるか女として育てるかによって18〜24ヶ月の間までに確立するという理論だったのである。(1, 6

2、八木氏による『解説(3』の検証

 次に私は、八木氏が『解説(3』にて批判している『男女共同参画社会基本法(4』の立案に関わった大沢真理氏・船橋邦子氏・上野千鶴子氏らの「ジェンダー論」を、それぞれ検証した。

(A) 大沢真理氏に関して

 八木氏は『解説(3』にて以下の3つの文章を引用している。
『女で妊娠したことがある人だったらメスだと言えるかもしれないけれども、私などは妊娠したことがないから、自分がメスだと言い切る自信はない(14』
『生物学的性差は、セックスだけど、それとは一応区別される、ありとあらゆる文化や社会が作り出した男らしさや女らしさの通念、つまり男女を区別している線、これは人工的に作り出されたものだから、人の意識的な営みによって崩していくことができる(14』
『セックスが基礎でジェンダーがあるのではなくて、ジェンダーがまずあって、それがあいまいなセックスにまで二分法で規定的な力を与えている、けれど本当はあなたのセックスはわかりません、ということです(14』。
 これらの文章に関して、八木氏は以下のように『解説(3』している。
『本来は男女の生物学的な性差はあいまいであり、差異はないのに、それを「男らしさ」「女らしさ」という作られた性差のために無理に生物として男か女のどちらかに分けられている。その「男らしさ」「女らしさ」という意識を払拭すれば、私たちは生物として男なのか女なのかは本当のところはよく分からないということである(3』
 そして八木氏は以下の文句で結んでいる。
『多くの人はこのような考えについていけないだろうが、実はこれが男女共同参画社会基本法や各地の男女共同参画条例の中心概念である「ジェンダー」についての説明なのである(3』。
 私は八木氏の『解説(3』を読んだだけでは『このような考えについていけない(3』と決め付けることはできないと判断し、大沢氏の文献(14を読んだ。すると実際には、大沢氏の「ジェンダー」についての説明に続きがあったことがわかった。
『「生物としての自然というものがあるんだから、ここは絶対譲れない」と頑張る人に対しては言いました。分子生物学では今、染色体がXYでメスもあることになってるし、XXでオスもある。この頃は性転換手術なんていうのもある。不変の自然、変えられないはっきりした区分だと思われていたセックスが、実はあいまいで流動的なものだということが明らかになってきているじゃないですかと。(14』

(B) 船橋邦子氏に関して

 八木氏は『解説(3』にて以下の文章を引用している。
『生物的性別は多様なのですが、女/男と二分化する社会的性別によって生物的性別も二つに分けられているのだということが明らかにされました。このことは、今まで生物的性別が社会的性別を決めているという常識をくつがえしたことになります。
 今日では生物的性別であるセックスが社会的性別であるジェンダーを決めるのではなく、社会的性別・ジェンダーが生物的性別・セックスを規定するのだと、女性学ではいわれています。(15』
 これらの文章に関して、八木氏は以下のように『解説(3』している。
『これまた生まれながらによって性別が決まるのではなく、人々の意識によって男女の性別が決まるということである。「氏」か「育ち」か、ということが言われるが、「育ち」すなわち「ジェンダー」によって男女の生物学的な性別も決まるのだという主張である。男として育てれば男に、女として育てれば女になる、どうにでも変えられるということである。(3』
 私は船橋氏の文章に対する八木氏の『解説(3』を読んだとき、八木氏の『解説(3』が論理として成立していないことに疑問を感じ、船橋氏の文献(15を読んだ。すると実際には、八木氏が引用した箇所は船橋氏の「ジェンダー」についての説明の最後の部分であり、この箇所の直前に以下の文章が書かれていたことがわかった。
『一方、ジェンダーに対して使われてきたセックス・生物的性別も、私たちが生物学的には、なにびとも男女に分けられるものと思いこんでいたことが、必ずしもそうではないことがわかってきたのです。外性器だけでは性別の判断がつかない半陰陽インターセックス)の研究が、そのことを実証しました。
 生物的な性の分化は、受精の際の染色体によるといわれてきましたが、受精後七週目ぐらいから性の分化が始まり、その過程で内性器、性ホルモン、染色体、遺伝子などの複合的要因によって決定することが明らかにされました。これらの要因の結びつきは、単純ではなく、さまざまなバリエーションがあることもわかってきました。
 つまり生物的性は、男性ホルモンの少ない男性や女性ホルモンの少ない女性、精巣を作る遺伝子のない染色体をもつ男性、と多様であり、「女っぽい男性」もいれば「女っぽい男性」もいるということです。また最近よく言われるようになった「性同一性障害」は、生物的性別と社会的性別が一致しないことから生じる問題です。(15』そしてこの文章の後、『このように、生物的性別は多様なのですが、女/男と二分化する社会的性別によって生物的性別も二つに分けられているのだということが明らかにされました。(15』と八木氏が引用した箇所に続いている。

(C) 上野千鶴子氏に関して (1)

 八木氏は『解説(3』にて2つの文章を引用している。まずはひとつ目から検証する。引用のルールには違反するが、実態をより詳しく伝えるため、前者においては八木氏の引用箇所を孫引きした。引用文中の括弧内記述は八木氏によるものである。
『彼ら(マネーとタッカー)の仕事は、セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した。(中略)マネーとタッカーは、生物学的性差の基盤のうえに、心理的性差、社会的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した。人間においては、遺伝子やホルモンが考える、のではない。言語が考える、のである(3』
 引用箇所に対して八木氏は『これまたマネーを無批判に評価し、極めて古い“学説”に依拠している(3』と『解説(3』している。
 大沢氏・船橋氏の検証と同じように、私は上野氏の論文(16を読んだ。すると実際には、八木氏が引用した上野氏の論文は「1970年代から現代までにジェンダーやセックスという概念がどのように扱われてきたか」をまとめたものであったことがわかった。
 上野氏は、ジョンズ・ホプキンス大学の性診療の外来を受け持っていたマネーやタッカーが、『半陰陽や性転換希望者などの患者を相手にして、ジェンダーがセックスから独立していることをつきとめた(16』学説について説明していたのである。『生物学的に性別を決定する要素には、遺伝子、内分泌、外性器などの異なった次元がある。だが自然界にある性別には、どのレベルでも連続性があり、男/女のような二項対立にはできていない。(16』(略:この間に遺伝子、内分泌、外性器における自然的性差の連続性が説明されている)『すなわち、遺伝子、内分泌、外性器のどれをとっても、自然界には性差の連続があるのに対し、文化的な性差は中間項の存在をゆるさず、男でなければ女、女でなければ男、と排他的な二項対立のいずれかに、人間を分類するのである。(16』
 八木氏の『解説(3』から孫引きした箇所をきちんと引用すると、以下のようになる。(下線部分は『解説(3』にて八木氏が引用しなかった部分である)
マネーとタッカーの業績は、セックスとジェンダーのずれを指摘したにとどまらない。もっと重要なことに、彼らの仕事は、セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した。万一外性器に異常があっても、もし遺伝子やホルモンが性差を決定するならば、患者たちは周囲の性別誤認にもかかわらず、自然に「男性的」もしくは「女性的」な心理的特長を発達させていたはずである。マネーとタッカーは、生物学的性差の基盤のうえに、心理的性差、社会的性差、文化的性差が積み上げられるという考え方を否定し、人間にとって性別とはセックスではなくジェンダーであることを、明瞭に示した。人間においては、遺伝子やホルモンが考える、のではない。言語が考える、のである。(16』
そしてマネーとタッカーの研究について、上野氏は以下の説明を記述している。
『九〇年代に入って、性干渉転換症(TS Trans-Sexual)の臨床研究がすすむにつれ、マネーとタッカーの発見の一部は追認され、一部は反証された[小倉2001]。日本では九九年に埼玉大で性転換手術の実施が承認され、希望すれば「自然」を「文化」にあわせることが可能になった。TS臨床が示すのは、身体的性別とまったく独立に性自認が成立すること、そしてそれが臨界期の後も変わりうることであった。すなわちセックスとジェンダーは端的にべつのものであること、セックスとジェンダーが連続しているのではなく、切断されていることをTS臨床は明らかにしたのである。(16』

(D) 上野千鶴子氏に関して (2)

 次に八木氏が『解説(3』にて引用した、ふたつ目の引用箇所を検証する。
『「ジェンダー」という用語は、性差を「生物学的宿命」から引き離すために、不可欠な概念装置としての働きをした。もし「性差」が、社会的、文化的、歴史的に作られるものであるなら、それは「宿命」とは違って、変えることができる。フェミニズムは「女らしさ」の宿命から女性を解放するために、性差を自然の領域から文化の領域に移行させた。(16』
 八木氏はこの引用箇所に対しても『これまたマネーを無批判に評価し、極めて古い“学説”に依拠している(3』と『解説(3』している。
 この引用箇所の検証をしたところ、八木氏がふたつ目に引用した箇所は、上野氏の主張が記述された箇所ではないことが判明した。1970年代のフェミニストの間で「ジェンダー」がどのような概念で扱われていたのかについて記述した箇所であったのである。上野氏はこの文章の前の段落で以下の説明を記述している。
『今日、フェミニズムのなかでは「セックス」は「生物学的性別」、「ジェンダー」は「社会的文化的性別」を指す用語として定着している。(16』

3、「陰謀論」の検証

 『日本のフェミニストの一部はその「ブレンダ事件」を隠して未だに彼の説を論拠としており、日本でもこの事件については学会や出版界に圧力がかかり、ひたすら隠蔽されている(5』このような「陰謀論」がインターネット上でウワサされている。ウワサの中には今回紹介したもののように「事実」として書かれているものもある。ちなみに、この文章をインターネット上に公開したのは小谷野敦氏(東京大学非常勤講師)である。<2005/10/26 実際に陰謀説を書いたのは小谷野さん(id:jun-jun1965)ではなく、id:shikineさんという方でした。>
 私はこの「陰謀論」を検証するにあたってはまず、八木氏が『解説(3』にて『どういう経緯か、早々と絶版にされ(3』と記述していたことを受け、『解説(3』を書いた人でもわかっていないことを調べることは非常に困難ではないだろうかと考えていた。
 そこで私は『ブレンダと呼ばれた少年』を今年5月に発行した扶桑社の以前、2000年10月に発行した無名舎について調べてみた。すると、無名舎は2001年9月の『脳の探究感情・記憶・思考・欲望のしくみ』を最後に新刊を発行しておらず、『ブレンダと呼ばれた少年』以外の書籍も、2冊の在庫僅少を除いて入手不可になっていることがわかった。(17このことから私は、無名舎版が絶版になった理由は売れなかったからか、無名舎という会社自体がなくなったからではないかと考えた。
 次に私は、復刊ドットコム(18にて『ブレンダと呼ばれた少年』のリクエストを調べた。2000年5月24日に発足したこのウェブサイトであれば、(2000年10月に発売された)無名舎版が店頭から消えた当時の状況が書かれているかもしれないと思ったのである。しかし予想は外れていた。復刊ドットコムのウェブサイトにはじめて『ブレンダと呼ばれた少年』のリクエストが出されたのは、2004年7月15日(18だったのである。『どういう経緯か、早々と絶版にされ(3』たのにもかかわらず、リクエストが出たのは4年近くも後のことだったのである。
 なぜこんなにも月日が空いているのだろうかと考えた私は、デイヴィット・レイマー氏が自殺をした日が2004年5月4日であったことを思い出した。私は「デイヴィット・レイマーの自殺が報道されたことによってはじめて、日本では『ブレンダと呼ばれた少年』が知られるようになったのでは」という仮説を立てた。
 その後とあるウェブサイトから、無名舎がマクミランランゲージハウスという会社の子会社であったという情報を得た。そこでマクミランランゲージハウスに無名舎版の『ブレンダと呼ばれた少年』が絶版になった理由を尋ねたところ「無名舎の書籍は売り切れたものから順次絶版となっている」とのことで、「『ブレンダと呼ばれた少年』も遅くとも2002年ごろには店頭から消えたのではないか」との回答を戴いた。また「現在出版は行っていないが、無名舎という名前が残っているため、店頭に残っているものは販売している」とのことであった。
 さらに私は、これまでに『ブレンダと呼ばれた少年』についての問い合わせはどれだけあったのかを尋ねたところ、「復刊ドットコムで票が集まったという問い合わせのときだけだと思います」との回答を戴いた。そして最後に『ブレンダと呼ばれた少年』の絶版に関しての圧力の有無を尋ねたところ、「ありませんし、感じませんでした」との回答を戴いた。 

考察

 八木氏による(A)〜(D)の検証を振り返ると、八木氏が『解説(3』にて引用した大沢氏・船橋氏・上野氏の「ジェンダー」に関する記述は、医学や生物学などの研究が「さまざまな性別(セックス)の人間がいる」ことを証明した(6, 7, 9ことに基づいていることが確認できる。

1、大沢氏の文献に関する考察

 『生物的な性の分化は、受精の際の染色体によるといわれてきましたが、受精後七週目ぐらいから性の分化が始まり、その過程で内性器、性ホルモン、染色体、遺伝子などの複合的要因によって決定することが明らかにされました。これらの要因の結びつきは、単純ではなく、さまざまなバリエーションがあることもわかってきました。(中略)このように、生物的性別は多様なのですが、女/男と二分化する社会的性別によって生物的性別も二つに分けられているのだということが明らかにされました。(15』
この船橋氏の記述は、生物学的性別が多様であることを説明している。たとえば染色体だけでも、XXの染色体を持つ人がいればXY・XXY・XXXY・XXXXYの染色体をもつ人もいるし、ひとつのX染色体を持つXOの人もいれば、XO/XY・XX/XY・XO/XXと表記される異なる組み合わせの染色体を両方とも持つ人もいる。また、ヒトの体は染色体の組み合わせだけに左右されるわけではないため、XXの染色体と男性外性器を持つ人もいれば、XYの染色体と女性外性器を持つ人やXXの染色体と女性外性器を持つ人もいる。さらに性器の(外性器・内性器)組み合わせに関してもさまざまな人がおり、男性外性器と精巣をもつ人もいれば、女性外性器と精巣をもつ人もいるし、男性外性器と子宮をもつ人もいれば、卵巣と精巣とを両方もつ人もいる。男性器か女性器かを判断しようとした場合にのみ、判断に迷う・決定できない外性器をもつ人もいる。
染色体と性器のかたちを大雑把に列挙しただけでも様々な形があり、これらすべてが生物学的性別である。船橋氏らはこれらの生物学的な性差に対して、「世の中には男性と女性に分かれている。女性はXX染色体・女性器・卵巣・多量の女性ホルモンをもっており、男性はXY染色体・男性器・精巣・多量の男性ホルモンをもっている」という認識や社会制度のことも「ジェンダー」であると主張しているのである。
八木氏が取り上げた『双子の症例』は、2人の人間の比較研究である。2人の人間の研究からは、生物学的性別が多様であることを証明することができないことは明白である。

2、船橋氏の文献に関する考察

 『私などは妊娠したことがないから、自分がメスだと言い切る自信はない(14』
この大沢氏の記述に関して言えば、不妊に関する検査の結果を受けたことではじめてインターセクシュアルと呼ばれる状態であったことが判明する場合が実際にある(7, 9 。また1968年から99年にかけてのオリンピックで女子選手に対して行われた遺伝子検査(19では、染色体の組み合わせがXXではなかったことをいきなり知らされ、さらにこれを理由に「女性ではない」と非難され、承認を取り消された人もいる。大沢氏の記述には反する形になるが、性同一性障害と呼ばれる状態の人の中には、子どもが産まれた後に性的違和感を抑えきれなくなり、戸籍とは異なる性別で生きていくことを選択した人もいる(10。
 もちろん、『双子の症例』でモルモットにされた、デイヴィット・レイマー氏も例外ではない。レイマー氏も、14歳の時に父親から『起こったすべてのこと(1』を聞かされるまで、自身が『男の子として生まれたこと(1』を知らなかったのである。
大沢氏の記述も同様に、八木氏が取り上げている『双子の症例』だけでは根拠にならないことは明白である。

3、上野氏の文献に関する考察

 『彼女(上野氏)は、まったく学問的ではない。それがウソであることを明示した私の論文を知らないでいる。私はその論文を一九九七年に書いた。その本(差異の政治学)を二〇〇二年に出したなら、五年間もの違いがある。(20』
 世界日報の山本記者のインタビューに対して、『双子の症例』のウソを暴いたミルトン・ダイアモンド氏は、上野氏の『差異の政治学(16』を『痛烈に批判している(3』。
 しかし検証を振り変えれば、上野氏の『差異の政治学(16』論文も『双子の症例』ではなく「医学や生物学などの研究が、さまざまな生物学的性別(セックス)の人がいることを証明した」ことに基づいていたことが確認できる。
 確かに、ダイアモンド氏は『双子の症例』がウソであったことを暴いた。しかし『双子の症例』がウソだった、だからジョン・マネー氏の研究は1つ残らずすべてウソである、と決め付けることは、危険ではないかと私は考える。
現代の日本で言うところの「性同一性障害」や「インターセクシュアル」の研究を通じて、マネー氏らが発見した「生物学的性別(セックス)の多様性」は『双子の症例』に基づいてはいない。また、1997年にダイアモンド氏によって書かれた『ジョン/ジョアン事例』論文によってウソだと暴かれた訳でもない。
 そもそも「インターセクシュアル」に関する研究を長年のあいだ行い、「自然は多様性を愛する」とまで言ったダイアモンド氏が、なぜ上野氏の主張を批判したのであろうか。「生物学的性別(セックス)の多様性」に基づく『セックスがジェンダーを決定するという生物学的還元説を否定した(16』という主張を、なぜダイアモンド氏は『ジョン/ジョアン事例』論文を引き合いにして「学問的ではない(20」と痛烈に批判したのであろうか。
 記者である山本氏との間にどのようなやり取りがあったのかは分からない。だが、もし上野氏の『差異の政治学』をしっかり読んだ上で、まともなインタビューに答えていたのだとしたら、世界日報に掲載されたダイアモンド氏の主張の方がよほど「学問的ではない」と私は考える。世界日報山本彰記者からミルトン・ダイアモンド博士に送られたメールの全文がmacska dot org » ミルトン・ダイアモンド教授が「ジェンダーフリー支持」を明言にて公開された。これにより、世界日報に掲載されたインタビューは悪質な誘導質問であったことを確認した。事実を確認することなく、一方的にダイアモンド氏を糾弾したことを深く反省したい。

4、「陰謀論」に関する考察

 「陰謀論」の検証を振り返ると、陰謀説を主張する人々はきちんとした事実確認すら行われずに「陰謀論」を振りかざしていたことが確認できる。2000年に発売された無名舎版は2001年に出版社の事業撤退と共に絶版した。『ブレンダと呼ばれた少年』という本の存在も、2004年に復刊の声が現われるまでは多くの人が知らなかったのである。
 では、なぜ小谷野氏<2005/10/28 実際に陰謀説を書いたのは小谷野さん(id:jun-jun1965)ではなく、id:shikineさんという方でした。>らは「陰謀論」を揺るぎないものとして考えていたのであろうか。答えは八木氏の『解説(3』にあったと、私は考える。
 『目を我が国に転じてみると、問題は、我が国の男女共同参画政策がもはや学問的には破綻したと言っていいマネーの性心理白紙説に依然として依拠しているということ、そしてそこでは「双子の症例」が失敗したことが隠され続けていることである。
 本書がアメリカで刊行された二〇〇〇年、我が国でも『ブレンダと呼ばれた少年 ジョンズ・ホプキンス大学病院で何が起きたのか』(無名舎より刊行)と題されて出版されたものの、どういう経緯か、早々と絶版にされ、一方、マネーの『性の署名』の方は、現在品切れ中であるが、頻繁に増刷され、女性学の基本的テキストとして読み継がれている。(3』
 この八木氏の主張によって、一部の人々は「男女共同参画政策」と「ブレンダと呼ばれた少年の絶版」の間には「何か関係があるのでは」と考えてしまったのであろう。
 2000年に発売された無名舎版が『どういう経緯か、早々と絶版にされ(3』た理由に関して、八木氏が謎を謎のままに『解説(3』を書き終えてしまったのかは不明である。しかし、無名舎版が絶版となった経緯はマクミランランゲージハウスという会社に取材すれば、容易に判明する。

まとめ

(1)マネー氏が『双子の症例』で証明しようとしたものは「ジェンダー」という名前ではある。しかし、マネー氏の定義は「社会的性差」ではなく「男または女の自覚」、つまり現代の日本で言う「性の自認」または「ジェンダーアイデンティティ」の基礎となった概念のことである。
(2)八木氏が『解説(3』にて引用した、大沢氏・船橋氏・上野氏の記述に関して、実際に著書を検証した。すると、彼らの主張の根拠は『双子の症例』ではなく、生物学や医学が生物学的性別(セックス)の多様性を証明していることに基づいていることがわかった。
(3) 大沢氏らは、多様な生物学的性差に対し「男か女か」という性別二元論に基づいた性差の考え方も「ジェンダー」のひとつであると述べている。
(4)2人の人間の比較研究を行った『双子の症例』は、生物学的性別が多様であることの根拠にはできない。したがって、双方に関連性はない。
(5)ゆえに、『ジョン/ジョアン事例』や『ブレンダと呼ばれた少年』を『男女共同参画政策』の批判の材料として使用することにはまったく意味がない。せめて『ブレンダと呼ばれた少年』の解説に使うことだけはやめてください。
(6)2000年に無名舎から発売され『どういう経緯か、早々と絶版にされ(3』たはずの『ブレンダと呼ばれた少年』に対する復刊のリクエストがはじめて挙がったのは、2004年のことであった。
(7)無名舎に『ブレンダと呼ばれた少年』の復刊に関して問い合わせがあったのも2004年のことである。
(8)無名舎は2001年で出版業務を終了している。何かを主張するときは、ちゃんと事実関係を確認してからにしてください。

おわりに

 『ブレンダと呼ばれた少年』に関して、私は多くの事を学ばなくてはならないと感じている。“あいまいな性器を持つ乳幼児”に対して、現在も行われている手術のこと。ジョンズ・ホプキンス大学病院の密室で数年間行われた、“カウンセリング”と呼ばれる性的虐待のこと。“普通の女/男であること”が人間の全てである、と考えること……。
 『ブレンダと呼ばれた少年』に関する数え切れないほどの事実のひとつひとつが、私には想像できないほどの悲しみや苦しみに溢れているように思えてならない。私たちはきっと、これらの犠牲や悲劇と呼ばれるものから、ひとつでも多くの教訓を得なくてはならないのであろう。
 それでも私は、この本の中に残るひとつの光――「おれは両親を責めてはいないよ(1」とデイヴィット・レイマー氏が話したこと――の方へと目を向けずには居られない。コピラント氏(原本著者)のインタビューの中で、デイヴィット・レイマー氏が語ったことが本当であったなら。「自分の人生で起きたすばらしいことはすべて、両親のおかげ(1」だと、デイヴィット・レイマー氏が心からそう思っていたのなら。もしこれらが真実ならば、デイヴィット・レイマー氏の短い人生に対して、私はたくさんの希望を持つことができる。
 私は宗教を信じていないため、レイマー兄弟の冥福を祈ることはできない。そのかわりに、私は信じたい。レイマー家の人々に訪れた幸せな瞬間がひとつでも多く、1秒でも長く、彼らと、そして彼らが大切に思っていた人々と共にあったことを。

文献

1.ジョン・コピラント著『ブレンダと呼ばれた少年』扶桑社, 2005

2.『性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン日本精神神経学会, 2002(http://www.jspn.or.jp/04opinion/opinion14_07_20_01.html

3.八木秀次著『解説 ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた本書の意義』扶桑社, 2005

4.『男女共同参画社会基本法』1999(http://www.gender.go.jp/9906kihonhou.html

5.『はてなダイアリー - ジョン・マネーとは』(注:現在は訂正されている。小谷野氏のウェブログでの関係する記述http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20050911は小谷野氏本人が削除してしまっている。<2005/10/26 実際に陰謀説を書いたのは小谷野さん(id:jun-jun1965)ではなく、id:shikineさんという方でした。>詳細はhttp://macska.org/index.php?p=84

6.針間克己著『一人ひとりの性を大切にして生きる―インターセックス、性同一性障害、同性愛、性暴力への視点少年写真新聞社, 2003

7.セクシュアルマイノリティ教職員ネットワーク編『セクシュアルマイノリティ―同性愛、性同一性障害、インターセックスの当事者が語る人間の多様な性明石書店, 2003

8.アリス・ドムラット・ドレガー著『私たちの仲間―結合双生児と多様な身体の未来緑風出版, 2004

9.橋本秀雄著『男でも女でもない性・完全版―インターセックス(半陰陽)を生きる青弓社, 2004

10.針間克己編『性同一性障害30人のカミングアウト双葉社, 2004

11.Bradley SJ, Oliver GD, Chernick, AB, Zucker, KJ (1998). "Experiment of nurture: Ablatio penis at 2 months, sex reassignment at 7 months, and a psychosexual follow-up in young adulthood." Pediatrics, 102(1): e9.(http://pediatrics.aappublications.org/cgi/content/full/102/1/e9

12.パトリック・カリフィア著『セックス・チェンジズ―トランスジェンダーの政治学』作品社, 2005

13.上野千鶴子著『ラディカルに語れば…―上野千鶴子対談集平凡社, 2001

14.相良順子著『幼児・児童期における性差(教育と医学 53-5)』慶應義塾大学出版会, 2005

15.船橋邦子著『知っていますか?ジェンダーと人権一問一答解放出版社, 2003

16.上野千鶴子著『差異の政治学岩波書店, 2002

17.紀伊国屋書店http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosc.wbにて、無名舎で検索してみてください)

18.復刊ドットコムhttp://www.fukkan.com/list/comment.php3?no=24997のコメントをご参照ください)

19.読売新聞『オリンピック物語 第四部 女性の戦い〈6〉』2003/11/16(http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/special/monogatari/mo2003112601.htm

20.世界日報「政府のジェンダー定義は誤り マネー理論崩したM・ダイアモンド博士(ハワイ大学)に聞く」2005/02/16(http://members.at.infoseek.co.jp/transnews/as-nature-made-him-returns.htm