ジョン・マネー氏の「ジェンダー」定義に関するエントリーの続き。
引用は『性の署名―問い直される男と女の意味』から。
性自認とは前述したように、自分自身を男性または女性として認識することである。性役割とは、男性または女性としての自己認識を表現しているあらゆることがらをいう。性役割は、あなたが感じること、考えること、行なうこと、言うことのすべてを含んでいるわけで、これらのあらゆる言動はあなたが男性あるいは女性であることを――他の人々だけでなくあなた自身に対しても――表しているのである。性自認と性役割は、二つの別々のものではない。この二つは、一つのコインの裏表ということわざがあるように、同じひとつのものの違った側面なのである。
(P.17-18より)
このように、マネー氏は「性自認*1」と「性役割*2」は同じものであると述べています。*3
以下の表を見るとよりわかりやすいと思います。
性自認に作用する図式の入れ換え
入れ換えの程度→ 全面的 部分的 周辺的 永続的 変性*4 真性同性愛 職業の型 一時的 異性装*5 両性愛 レクリエーションの型 (P.258より)
補足として。マネー氏による「異性装」と「同性愛」の説明は以下の通りです。
真正の典型的な異性装者はこのように二つの部分から成る性自認を持っており、いわば、ジキル博士とハイド嬢が交代するようなもので、それぞれにふさわしい名前と人格、衣服、声、足つき、固有の癖を別々に持っている、ということである。ハイド嬢がどの程度まで人々を納得させられるものかは、重荷、これまでどのくらい頻繁に彼女が人前に現われることができたかによって決まる。なぜならば、たとえ正常の人間であっても、自分を役割のままに受け入れてくれる他人からのフィードバックがなくては、自分自身の性役割でさえ、誰も完成することはできないからである。
(P.41より)
幻想の中で、そしてたいていは現実に、他の男性だけにしかエロティックに反応できないような真正の同性愛者だけに相当する、スペクトル上の一区分に焦点を合わせよう。この狭い部分でさえ、さらにもう一つの分類が必要となる。すなわち、性行為においてより男性的な役割を選びたがる者と、より女性的な役割を好む者とがいるのである。また、どちらの役にもなれる者もいる。男役の同性愛者の男性は、エロティックな関心の的を除けば、異性愛の男性とほとんど区別できない。平常の行動においては、普通、他の男性とはほとんど違いはなく、女性と性的関係を持つことさえあり得るが、彼の愛情とエロティックな関心は主に男性に対して向けられる。これに反して、真の女々しい同性愛者は、エロティックな好みだけでなく、他のさまざまなことがらにおいても平均的男性とは異なる。女性のように男性のペニスを楽しんで受け入れ、性に関連した状況以外の場合でも、女性的な反応や行動を示す。同性愛者を表すスペクトルの中で、女々しいタイプに相当する部分は変性者と重なりあうことになる。
(P.35-36より)
マネー氏は「真正の同性愛者」について、ジェンダー*6が部分的に・永続的に入れ換わっている状態であると定義し、
「真正の典型的な異性装者」については、ジェンダーが一時的に・全面的に入れ換わっている状態であると定義しています。
またマネー氏は「異性装者」に関して「二つの人格と二つの性自認を持った(P.143)」と定義しています。
マネー氏が
と主張していることから考えると、マネー氏は
と考えているようだ、と牧波さんは考えることができます。
結局は以下のような
男を好きになる | 女を好きになる |
スカートが基本 | パンツスタイル |
家事に向いている | 家事に向かない |
やさしい | つおい |
感情的 | 理論的 |
女らしさ+自分は女だ | 男らしさ+自分は男だ |
---|
に関して、「これらは生得的なものじゃなくて、後天的に習得するものだよ」
と主張したのだと思います。
別にマネー氏は「男らしさ」「女らしさ」に関して、
それが「虚構だ!」といっているわけではありませんでした。
で、今の男女共同参画政策やらジェンダーフリー*7で使用されている「ジェンダー」は、マネーの定義とは異なっているよ、ということを次回*8やるつもりです。