“昔ながらの元気な男の子”という伝統的な意識に縛られていることにすら気付かない“「オトコが揺らぐ」取材班”

格差社会の「自分探し」― オトコが揺らぐ(3)<揺らぐ男の子の育て方>」の記事(はてブ)を読んだところ、思わず噴き出してしまった。同じ記事内での主張の矛盾など、あまりのありえなさに、初めは世界日報山本彰氏による記事ではないのかと邪推したほどで(笑)。まぁわらっていても仕方がないので、一つづつ突っ込んでいこうではありませんか。


まず1つ目。

総務省の就業構造基本調査では、働いていない若者(十五−三十四歳)は、長く女性が過半数を占めていたが、最近は男性が逆転した。増え続けるニートの中で、男性の割合が高いことを示している。

おそらく統計局ホームページ/平成14年就業構造基本調査 統計表一覧のことだと思うのだけど、牧波さんはMac使いのために内容は確認できませんでした。残念。


気を取り直して2つ目。

若い男性だけが問題をかかえているのではない。二〇〇四年の自殺者三万二百人あまりのうち72%は男性。その多くが四十代以上の中高年だ。二十年前に比べると女性の自殺者数はほぼ同じなのに、男性は約六千人増えた。

男の子の育て方が揺らいでいる。

ちょっとスト−ップ。二〇〇四年の自殺者の「多くが四十代以上の中高年」なのに、なんで「自殺者の増加」から得られる結論が「男の子の育て方が揺らいでいる」になるんでしょうか。
この記事の初めには「男女雇用機会均等法の施行(一九八六年四月)から、ことしで二十年になる。この間に女性たちの生き方は大きく変わった〔……〕一方、男性の側はどうも元気がないようだ。」という文がありました。もし「この二十年の間に男性の元気がなくなった」と主張したいのだとしたら、「四十代以上の中高年」を例に「男の子の育て方が揺らいでいる」と主張するのは、論理として成立しないことになる。……なんてことを書いて次に移ろうかと考えていたら、更に目を疑うような記述がありましたよ。

十年ほど前からの傾向で、女性の人生の幅が広がったことに加え、家庭の「父親不在」の問題も要因の一つという。父親が子育てに参加せず、しっかり者の母親に育てられた男の子は、生き方を考えるうえでの男性モデルが身近にいないため、自分を男として意識することが少なくなった。雇用不安が広がり、会社勤めの父親が目標にならなくなって、将来の夢は「何もない」と答えたりするという。

え?「十年ほど前からの傾向」?じゃあさっきの二〇〇四年の自殺者の「多くが四十代以上の中高年」の問題は何だったんですか?実は関係ないんでしょうか。 デタラメでいいかげんな 不思議な記事ですね。ちなみに、内容の「クマ−」には一々触れませんので宜しく。


んで、3つ目。これは「愛知県の中学校で二年生の担任を務める武田先生(53)=仮名=」のお説教でございます。

「子どもたちが体を動かして遊ばなくなった影響は、特に男の子に強く現れていると思う。以前なら中学時代にぐっと伸びたはずの彼らが、いつまでも精神的に幼い。生徒会のリーダーも、合唱会の指揮者も、最近は女の子ばかり」

大丈夫ですか、武田先生(仮名)!?男の子たちが「精神的に幼い」ことと、「生徒会のリーダー」や「合唱会の指揮者」の役が女の子にも回ってくるようになったこととを混同していやしませんか武田先生(仮名)?「生徒会のリーダー」や「合唱会の指揮者」って、学校やクラスの単位で1人しか選ばれないものですよね?もし「生徒会のリーダー」や「合唱会の指揮者」の役は女の子がやるのが当たり前で、男の子がやるのはおかしいという風潮があり、男の子が立候補することすら難しくなっている、ということなら判りますが。それでも批判するべきは、男の子が「精神的に幼い」ことではないでしょう。
つーか「生徒会のリーダー」や「合唱会の指揮者」が少ない程度で、「精神的に幼い」と決めつけるのもどうかと思いますよ武田先生(仮名)。「生徒会のリーダー」じゃないと生徒会の役員じゃないんですか?「合唱会の指揮者」じゃないと合唱会には参加していないことになるんですか?違いますでしょう?


続いて、その4。

東京都足立区の中学校では、校区の人たちへの「学校だより」を生徒たちが分担して配達している。発案した校長は「人との関係が希薄になっている社会だから、『こんにちは』『お元気ですか』の一言から関係を築く体験をしてほしい。特に、男子に」。

この学校の生徒会長も、ボランティア活動に意欲的な、しっかり者の女生徒だった。

うるせえよ。としか言いようがないんですが。「人との関係が希薄になっている社会」というのは「男」同士の「関係が希薄になっている社会」だとでも言いたいのでしょうか。で、「しっかり者の女生徒」が「生徒会長」を任されていることに何か問題でも?


んで、ラスト。

 昔ながらの元気な男の子たちがたくさんいたのは、東京都世田谷区の「羽根木プレーパーク」。

 広大な区立羽根木公園の一角にある冒険遊び場だ。でこぼこの斜面には子どもたちの掘った水路が走り、木の切り株や大きな石が転がる。

 廃材で作った二階建ての基地でかくれんぼする子、ハンモックの上で飛び跳ねる子、どんぐり拾いに励む子…。

 プレーリーダーの竹内紀子さん(34)によれば、夏場はコップの水を掛け合う「コップでパン」という遊びが人気。寒い時期は、プラスチック板を張った斜面に油を垂らし、靴で滑り降りるスキーごっこに歓声が絶えない。たき火で、いろんなお菓子を焼いて味を試すのも楽しい遊びだ。

 地域住民たちが主体となって、プレーリーダーを雇い、子どもたちの自由な遊び場を二十六年間守ってきた。現在は区内の四カ所に広がっている。何かと窮屈な現代社会。子どもたちの本来の輝きを引き出すのは、大人の責任なのだろう。

お、イイ話ではないんですか。ただ一つだけツッコミを入れるとしたら、牧波さんが以前、プレーパークについてのドキュメンタリー番組を見たときには元気な女の子たちもたくさんいたということでしょうか。でもテレビで観た、というだけではここの2コ下の「Q.な、なんだってー!? じゃ、誰が、なんのためにこんなデマ流してんの?」の高橋史郎教授の例にあるように、デタラメの可能性が高いですね。いや、たぶんデタラメです。“「オトコが揺らぐ」取材班”の人たちが「元気な女の子たちもたくさんいた」ことを 隠した 見過ごしたなんてことはないんでしょう。きっと。
まぁついでにNPO法人 プレーパークせたがや | プレーパークで遊ぼうのサイトを御紹介しておきますね。え、女の子もいるじゃんって?……気のせいです!“「オトコが揺らぐ」取材班”の人たちが「元気な女の子たちもたくさんいた」ことを 隠した 見過ごしたなんてことがあるはずが……あるはずが……あるはずが……(以下略)


んまぁツッコミはこのくらいですかね。それにしても、タイトルにも掲げましたが、この“「オトコが揺らぐ」取材班”の人たちって“昔ながらの元気な男の子”という伝統的な意識に縛られていることにすら気付いてないんですねー。「子どもたちの本来の輝きを引き出すのは、大人の責任なのだろう」とのたまう前に、「子どもたちの本来の輝き」を自分たちは理解しているのかを自問自答しては如何でしょうか?