Leiermann氏の「ファッションの搾取の構造」エントリに「待った」をかける

こないだの被害者叩きのジャンヌ伊勢崎、伊藤議員のエントリにちょっと関連してます。ただし混同しないようにお願いします。
kurotokageさんのブックマーク経由でLeiermann氏の「ファッションの搾取の構造」エントリを読みました。Leiermann氏は

  1. 現代の日本社会で「ファッション」が社会的な強迫の構造となっていることを指摘し、
  2. 「親に服を買ってもらえない」いじめや村八分の危機に立たされた子どもたちが「モデル」云々の簡単に金が手に入りそうな甘い誘惑に足を踏み入れていると考えても不思議ではない、と考え
  3. 「モデル」事件の加害者はこの社会全体=ファッションの過熱に荷担している者全てであり、道義的な責めを負うべきであろう

と結論付けています。
私もファッション業界の暴走ともいうべき現状には強い憤りを感じていますし、「モデル募集(と名乗るレイプ詐欺)サイト」を通じて性暴力加害者から被害を受けた(または今この時に受けている)子どもの中にも、ファッション社会に強迫されたことが原因であるケースは間違いなくあるだろうし、少なくないとも思います。
しかし私は同時に、「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイト」被害を含めた「援助交際」に関して、そのすべてを「非モテ系」理論*1だけで片付けてしまうのには「異議あり!」と感じてしまいました。
前置きが長くなりましたが、そういうわけで、今回のエントリはLeiermann氏の「ファッションの搾取の構造」エントリへの言及です。


私が一番初めに疑問に思ったのは、Leiermann氏が読売の記事から引用した箇所でした。孫引きになりますが、以下に引用します。

昨年、記者の取材に応じた東京都内の中学3年の女子生徒(14)は、インターネットのモデル募集掲示板に「ヌードなし、1時間5000円以上」などと書き込み、4人の男性と会ったと打ち明けた。
「まず電話で話し、怪しいと感じたら会わない」などの防衛手段を講じているというが、40歳代の男からホテルの部屋でヌード撮影を迫られ、「このくらい(金を)払えば、普通はやるぞ」とすごまれた。報酬として渡された封筒の中身が紙切れだったことも。女子生徒は「ホテルに入ったら、男が集団で待っていて乱暴された友達もいる」と話し、「怖い部分もあるけど、欲しいものを買うには小遣いが足りない。これは親への反抗だから」と目をそらした。

上記にて、私が気になったのはLeiermann氏が強調した「怖い部分もあるけど、欲しいものを買うには小遣いが足りない」の部分でした。Leiermann氏のエントリはこの部分を基盤に

「欲しいものを買うには小遣いが足りない」という発言を決して軽視してはならない。「援助交際」が問題となったときも、同様の台詞を我々は耳にしたばかりではないか。そして、この場合「欲しいもの」というのが主に衣服や装飾品であることは疑うべくもない事実なのだ。

と展開されています。*2確かにLeiermann氏の主張は論理として正しいと思いますし、先述したとおり指摘自体も正しいと思います。しかし、それでも、Leiermann氏が読売の記事にある「これは親への反抗だから」という部分を重視しなかった事に、私は疑問を感じてしまいました。
何を言いたいのかというと、「オイラならここを強調するよ」と言いたいのです。

「怖い部分もあるけど、欲しいものを買うには小遣いが足りない。これは親への反抗だから」と目をそらした

私は、「援助交際」のために「オトナ」と会う子どもの目的が、必ずしも「欲しいものを買う」という訳ではないと思っています。もちろん、親から解放された生活を送る費用*3を工面するために「援助交際」に足を踏み入れてしまう子どもはいると思います。しかしそれでも“「親から解放された生活を送る」ために「オトナ」と会う子ども”の目的は、「欲しいものを買う」ためではないと思います。それよりも「あんな親に束縛されたくない」「あんな親の支配から逃れたい」……などの「あんな親の力(お金)がなくても、私にはこれだけのお金(力)がある」という自覚がほしいから……つまり「親への反抗」のためではないか、と思うのです。
これはLeiermann氏が述べる「ファッション」に関しても同じだと思います。親にはとても買えない(買ってもらえない)ようなブランド物でも、「オトナ」と会って、「オトナ」のご機嫌をとっていれば(それはあるケースではデートだけの了承であったり、あるケースでは撮影だけの了承であったりします。もちろん、性行為の了承も含むケースもあります)、すぐ手に入ります。親の言うことに従わなくても、親や学校教職員にとっての「イイ子」でなくても、「自分は大丈夫だ」という確信を強めていくようになれるのだと思います。


そういう子どもたちは、いつか来るはずの「親のトコロから抜け出せる日」を思い描いているのではないか、と私は思います。
ですから私は「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイト」の加害者を「ファッション社会」だけに縛ってしまうことには「異議あり!」の立場です。もしかしたらLeiermann氏のエントリはそういった主旨ではないかもしれませんが、私にはそのように見えてしまいました。もし勘違いでしたら、申し訳ないです。

*1:たぶん、というか間違いなく、私はぜんぜん理解していないと思います。

*2:今回はLeiermann氏の「この場合「欲しいもの」というのが主に衣服や装飾品であることは疑うべくもない事実なのだ」という主張に関してはスルーします。

*3:アパート代など