Leiermann氏の「『モデル事件』の真の敵は?」エントリに「待った」をかける

昨日書いた「Leiermann氏の「ファッションの搾取の構造」エントリに「待った」をかける」のエントリに対して、Leiermann氏よりすごく真摯な返答を戴きました。こんぶ、こんなに真摯な対応をいただいたの初めて……きゅん。(キモいからやめなさい)
結論から言えば、牧波さんが先のエントリで記述した以下の部分は

私は「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイト」の加害者を「ファッション社会」だけに縛ってしまうことには「異議あり!」の立場です。もしかしたらLeiermann氏のエントリはそういった主旨ではないかもしれませんが、私にはそのように見えてしまいました。もし勘違いでしたら、申し訳ないです。

やっぱり牧波さんの勘違いでした。
こんな失礼極まりない牧波さんのエントリに対して、Leiermann氏は大変真摯にお答えくださいました。本当にありがとうございます。


続いて、タイトルのとおり、Leiermann氏のエントリで気になった部分に言及しようと思います。半分以上はLeiermann氏のサイトのコメント欄に書き込んだこととかぶりますが、ごめんなさい。


まず、以下の部分。

親や教師は多くの場合仲間外れにされた子供の味方ではない。明確な「いじめ」が発生しなかったとしても、自然に過ごしていただけで一々親や教師から雷を落とされていたのでは、どうして自尊心を持てるだろうか?
〔……〕
反抗するとするならばむしろ、「金で買えるモノ」から逃れようとするのではないだろうか、なぜこれが「反抗」になるのか、訳がわからぬ――。これがあの記事を書いた当時の私の考えであった。
しかしよく考えてみれば、これは親に「心」を支配されているということを暗黙に仮定していたようだ。大抵の子供は仲間外れにされずに済んでいるので、親を信用していなくても、友達は信じられると思っている――あるいは、「思い込んでいる」「思いたがっている」「思わされている」――ということは十分にあり得る。従って、自由になりたいと考えたとき、親の元を逃れて「仲間」のところに逃げれば全て事が済むと考えても不思議はない。
〔……〕
私は、どうして「金」が親に対抗する術になるのかわからなかったのだが、親から肯定されて育った子供は、「精神的自立」の問題を比較的早く解決できるために、「物質的自立」の問題がまず大きくなるということか。

おそらくLeiermann氏は、私が先のエントリにて提示した、“「親への反抗」で「援助交際」に足を踏み入れてしまう子ども”のケースに関して、

  • クラスメイトから仲間はずれにされてはいない
  • 親や教師から肯定されて育っている

と仮定しているのだと思います*1
先のエントリから想像ばかりで本当に申し訳ないのですが、私は「親から肯定されて育った子供」が「援助交際」に足を踏み入れてしまう、というケースはかなり希少*2ではないか、と思っています。
むしろ「援助交際」に足を踏み入れてしまう子は、(特に)親から「いい子ビーム」を受け続けていたのではないかと考えています。ここで言う「いい子」とは、「正しい(親の言う)ことに素直(従順)である子」のことを指します。つまり、

  • 生真面目であり、成績優秀で、勉強が一番大好き
  • 親や教職員に逆らいたいとは思っていない
  • 不良行為(親自身が気に入らないこと全て)をしたいとは思っていない
  • 親や教職員を尊敬している

これらの条件を全て満たしているスーパー☆キッズのことです。私は、上記のような「いい子」は、 バカ親の脳内にしか存在しない 現実には存在しないのではないかと思っているのですが。親御様にとっては、そういう「いい子」は基準であり、「いい子」でない「子ども」には存在価値すらないようなのです。
ちなみに、子どもが「いい子」の条件を満たせない場合の親御様の反応は以下のとおり。

  • お前は○○とは大違いだなぁ、少しは見習ったらどうだ?
  • ○○は「いい子」だったのになぁ、それに比べてお前は……
  • そんなんだから○○に追いつけないんだ、まったく
  • なんでお前は○○みたいにできないんだ?

これが俗に言う(言いません)「いい子ビーム」です*3。このあまりにも強力な「いい子ビーム」は、その強力さ故に、ビームを上手にあしらうことができず、「自分はそんないい子になんかなれない……無理」と真剣に苦悩してしまう「脱落者*4」を出します。私はこの「脱落者」にされてしまった子が、「親への反抗」で「援助交際」に足を踏み入れてしまうのではないかと考えています。
従って、Leiermann氏がもし“「親への反抗」で「援助交際」に足を踏み入れてしまう子ども”が「親や教師から肯定されて育っている」のだと仮定しているのであれば、私はそれに対して「異議あり!」の立場です。


これより以下の部分は、Leiermann氏のサイトでのコメントと変わらないので、そちらをご覧になった方はスルーされても結構です。

援助交際をする子供を「被害者」と呼ぶことは、私にはできなかった((ただし、援助交際で「買う」側に立っている人間は紛れもない加害者だとは思う。))。

“「親への反抗」のために援助交際する子ども”のすべてを「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイトの被害者」と一括りにする必要はないと思います。たとえば「援助交際」にも幅があって、あるケースではデートを「売る」だけであったり、あるケースでは撮影を「売る」だけあったり、あるケースでは性行為を「売る」わけです。
ですから今回の「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイトの被害者」の中に“「親への反抗」のために援助交際する子ども”がいた場合、その子が「売る」目的(つもり)だったものは「撮影」だけな訳ですよね(読売の記事参照)。
私は上記から、Leiermannさんが先の記事で採り上げられた「ファッション社会の被害者」と同列に、「親への反抗」目的に関しても「面識のない子どもに嘘をついて呼び出し、性暴力を犯すとんでもない大人」の「被害者」である、と考えました。これなら「援助交際」と「モデル募集(と名乗る性暴力詐欺)サイト事件」を別けて考えることができると思います。

*1:余談ですが、私はLeiermann氏の、「親や教師は多くの場合仲間外れにされた子供の味方ではない」という主張を支持しています。

*2:本音では「いるはずがない」と言い切りたいのですが、断定はできないので;

*3:○○は誰でもいいです。とりあえず品行方正に見えて、いい学校を出ていたりとか、成績優秀な子だったら誰でもオッケーです。

*4:あくまで「いい子ビーム」を避けられなかった、という意味での「脱落」であり、「いい子選手権」の脱落者ではありませんのでご注意を。