「中絶希望者に里親案内の新制度」へのあがき
最初に言い訳します。まともな文章にはならないと思います、ごめん。
myrielさんのブックマーク経由でhttp://www.asahi.com/national/update/0224/TKY200602230419.htmlを読みました。
人口減に悩む福島県が、従来の「里親制度」を、人工妊娠中絶を減らし、出生率を高めるための施策として活用していく方針を決めた。新年度から新たに「里親コーディネーター」を配置し、出産を迷う妊婦らにも制度を紹介する。女性の「産む、産まない」の選択権が狭められないかなどの論議も予想されるが、同県は「中絶を考えている人に産んでもらい、社会で子育てを担いたい」としている。
私は、「妊婦が中絶手術を受ける権利」と同じくらい「妊婦が中絶手術を受けなくてもよくなる状況」が必要だと考えています*1。正直な話、中絶手術で妊娠能力を失う人だっているわけで。「育てられる→出産 or 育てられない→中絶」という単純な道順がある“だけ”よりは、選択肢が多いほうがいいんじゃないかと思っています。
でも、もし福島県が中絶の問題に関して「育てられないなら里子に出せばいいじゃない!」という結論で終わらせるつもりであれば、私は断固反対します。
なぜなら、上記の制度は「妊婦が子どもを育てられない状況」という、一番根本的な問題を完全に無視してしまっているからです。「妊婦が子どもを育てられない状況」は
……などなど、たくさんの理由が複雑に絡まって作られるのですが。上記の制度は一切こういった問題を改善しません。
育てられるのだったら、中絶したくない人。どうしても中絶したくないのに中絶を迫られてる人。そういう人達のためにこの制度がつくられるのだ、と思いたいです。
でも、この制度は同時に「里子を出すことを前提に、出産を強制される」ことが可能になってしまう制度でもあるんです。両親やら周囲やらはそれでいいかもしれないけど。私だったら、里子に出すことを前提に出産する、なんて考えられないです(あくまでこれは主観でしかないのですが)。
どうかこれだけで止まらないで、「新生児の親になる人々」に学業や就業と両立できる状況が当たり前に保障されている上で、妊婦が
- 「自分で育てられる」
- 「中絶できる」
- 「里子に出せる」
の上記の3点を平等に選択肢として選べるような制度を作ってほしいです。