私の視点◆里親案内 産むことへの行政介入は疑問 朝日新聞 2006. 3.31

朝日新聞 2006. 3.31
私の視点◆里親案内 産むことへの行政介入は疑問
日本家族計画常務理事 産婦人科医 北村 邦夫


 本誌2月24日付朝刊の「中絶希望者に里親案内の新制度、福島県が今春から」の記事を読んで、驚きと不安を隠すことができなかった。
 一つは、従来であれば、出生後に養育困難な親が、里親制度を利用することはあっても、まだ産んでもいない妊娠中に、この制度を拡大しようという考え方に対してである。
 妊娠を継続した上で、無事にお産を終えられるという保証はどこにもない。妊娠中は受け入れを応諾していた里親がいたとしても、他人が産んだ子どもに予想もしない事態が発生した場合、それを快く受け止めることができるのだろうか。妊娠を継続したことで日に日に母性が芽生え、出産後里親に出すことを拒否する女性が現れることも充分に予想される。
 二つめは、あたかも産むことが美徳であるかのような風潮を加速させることにならないかとの懸念である。誰ひとりとして、中絶をするために妊娠する人はいないし、ましてや性交することもない。人工妊娠中絶を選択する女性には、他人に理解し得ないそれなりの理由があるのだ。そのような状況におかれている女性が産むことによって問題の解決が図られるとは考え難い。むしろ、産むことを強要され、今まで以上に中絶することが悪であるとの烙印(らくいん)を押されかねない。
 しかも、この制度は少子化対策の一環として始まろうとしていることに疑問を感じるのは私だけだろうか。産まないことを選択した女性の心を傷つけ、生まれてはみたものの、生みの親との関係を絶たれた子どもの将来を思うと、出生率がわずかに増えたからといって、それを手放しで喜ぶわけにはいくまい。
 三つめは、このような行政施策に対して学校や企業、地域がサポートできるかである。20歳未満の人工妊娠中絶件数は04年度の場合、3万4745件。そのうち15歳未満でも456件を数えている。仮に、中・高校生が妊娠したとしよう。里親制度があることを知った彼らが、妊娠の継続を決めたときに、彼らを取り巻く地域社会や学校は、彼らを温かく受容し、学業の継続とあわせて妊娠・出産を支援できるのだろうか。これは勤労女性についても同様である。里親コーディネーターと心理嘱託員を児童相談所に配置するとはいうものの、中絶を避けて産むことを決めても育てられない女性たちの苦悩や苛(いら)立ちをも癒すことができるのだろうか。
 福島県の人工妊娠中絶実施率が高いことも、この事業を立ち上げた理由のひとつとうかがっているが、であるとしたら、まず取り組むべきは、望まない妊娠防止対策である。
 英国やフランス、カナダなどの先進諸国では、10代の望まない妊娠防止対策として、女性が主体的に取り組める避妊法の代表格である低用量経口避妊薬(ピル)の使用を望む女性には、最初の3、4周期分を無料で、その後も一周期数百円前後で提供するという制度がある。若者たちにとって軽くない負担を強いる日本とは大きな違いである。各地に家族計画クリニックのような相談施設を配備しているのもこれらの国の特徴である。
 産むことを強要するのではなく、産みたい時に産めるような環境を整備し、産めない時には確実な避妊を実行できるような支援を惜しまないことこそ行政に期待される施策と言えるのではないだろうか。新年度に計上されたという予算がそういった施策に使われたら、中絶経験に苦悩し、その後の妊娠に不安とためらいを感じている多くの女性たちを救うことになる。産むか産まないかの選択はあくまで個人が決めることであって、行政が介入すべきことではない。