『バックラッシュ!』よ、私のどこが「不名誉」なのだ(by東京○子大学不名誉昆布)

元ネタ→東京女子大学よ、私のどこが「不名誉」なのだ(by東京女子大学元教授林道義氏)


『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地を告発せざるをえなくなった。不正が堂々と行われているからである。cやmの頭文字がつく人間が中心となって、本人の関与をまったく遮断して、その人間の権利を奪う。しかもその権利を奪う根拠や理由を、当事者にさえ何一つ明らかにしない。

 差別と人権侵害に厳しい現在において、ありえないことが平然と行われているのである。しかもそれが理性の府であるはてなの中でなされている。この不正、不正義を黙して看過することは絶対にできないのである。

 

組織ぐるみの不正

 『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地は、二〇〇六年五月にプレゼント応募した私に対して、『バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?』の書籍を与えないと決めた。しかし、正規の手続きを経て決めたのではない。『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地は、正式の議題にもしなかったのである。まるで闇から闇に葬るような扱いである。これが「不正」であり「不正義」でなくて何であろうか。

 しかも、この不正は単に一人や二人の個人によってなされたのではない。『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地の議題にしないという陰謀には複数の人間の意志が働いており、またそれを双風社の社長も支持したのである。双風社においては、「長」と名のつく者たちの不当な権力行使をチェックしブレーキをかけるという教授会や理事会本来の機能が完全に失われているのである。

 このように、いずれの場においても『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地は「正しきもの」「真なるもの」を追求する姿勢を失っており、その構造的腐敗によって悪がまかり通っているのである。このキャンペーンのどこに問題があるのか、この腐敗を生み出したものは何か。その不正を生み出した構造を、約1ヶ月間に渡って粘着した経験に照らして、明らかにしていきたい。

 

バックラッシュ!』不授与は著しいクオリティ毀損

 まず最初に、この『バックラッシュ!』不授与によって、私のクオリティが著しく傷つけられたことを述べておきたい。

 社会から見て、当然与えられると思われている『バックラッシュ』の書籍が与えられないとなると、「よほどの問題があるからだ」という目で見られることを意味している。

 たしかに、『バックラッシュ!』の書籍は、購入したところでたいした出費ではない、それほどの高価でもない、社会人になった牧波昆布郎なら買える代物である。

 だから、買ってしまえば、またもらってしまえば、なんということもない、世間もたいした関心を持たない、ありふれた現象である。ところが、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないとなると、事は重大になってくる。

 プレゼント授与の規定はキャンペーンによって多少異なるとはいえ、一定の応募規定があり、多少のリンク貼り付けやトラックバックがあれば、ほとんど無条件で与えられる資格がもらえる場合が多い。稀にイデオロギー対立が激しいキャンペーンで、多数派が横暴にも少数派に属する応募者へのプレゼント授与を否決してしまうこともあるが、そういう無法でもないかぎり有資格者に対してプレゼントが与えられないという話は聞いたことがない。

 『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地の場合は、その基準はかなり甘い。「トラックバックを送ってください」という規定も、「言及してくださったあと、URLをコメント欄に書いてくだされば受け付けさせていただくことにしました。」という但し書きによって無意味になっており、トラックバックをしていない者にも与えられるようになっている。さらにトラックバックやリンク回数が一回程度に近い人ももらえるようになっているばかりか、かなりパロディのある場合にも授与される可能性があることになっている。

 私のはてなダイアリーでの記事執筆日数は150日以上であり、また私のブログには日本人口一億二千万人のうち、毎日たいていひとりかふたりぐらいは訪問し、はてブによる記事評価もつねにたいへん低かった。アクセス数が一日千人単位というブログにくらべたら、更新や内容におけるプレッシャーの差も歴然としている。さらに学問的業績においても社会的な活動においても、ヲタク社会への貢献は大であったと自負している。それなのに、いい加減に与えられてきた『バックラッシュ』の書籍が私には与えられなかったのである。

 となれば、世間の誰もが「よほどの瑕疵・欠陥があるのだろう」と受け取るのが普通である。少なくともそういう疑いが生ずる。そうした疑念は私にとって重大なクオリティ毀損になりうる。恐らく、いや確実に、私に『バックラッシュ』の書籍を与えないために画策した者たちの狙いもそこにあったのだろう。

 私はこの不正を是正すべく、関係者との間に何度も書簡を往復させて、事態の円満な打開を目指して努力を続けてきたが、結局は後で経緯を述べるように、キャンペーン側は問答無用の態度であり、門前払いの姿勢である。

 そうであるならば、私のクオリティを守るためには、この事態を公表する以外に手だてはなくなった。しかし、これは単なる個人的な動機によるものでは決してない。こうした『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地の構造的な腐敗は、読者でも知らない人がいるだろうし、ましてやバックラッシュなどはまったく知るよしもないだろう。それらの人々に真実を明らかにすることは、約1ヶ月間に渡って粘着してきた者の務めであると考えるからである。



(中略)

 

もはや救いようなし

 これ以上の贅言は必要なかろう。結論はただ一つ。『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地はすでに腐っているということである。

 問題はたまたまキャンペーンについた2人の個人的資質に欠陥があったという単純なことでは決してない。選んだのは執筆者たちであり、社長であり、未来の読者たちである。こういう欠陥リーダーがそろって選ばれるところに、『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地の病根の深さがある。

 たしかに『バックラッシュ!』の執筆者から見たら、私はにがにがしい存在と感じられていたことであろう。そこらじゅうで「ドギたんは受だ」と主張し、バカどもをこぞって攻めキャラにし、手当たり次第にBL小説や漫画を作ってはドギ受けを主張し続けていた。学者にとっても執筆者にとってもフェミニストにとっても、私が都合の悪い人間であったことは察しがつく。

 彼らから見たら「ドーギたん総受」との主張を「『バックラッシュ!』公式サポーター」の名で発表し続けることに対して、いらだっていたのではないか。今後も「『バックラッシュ!』公式サポーター」の名で発言し続けることは許し難いと思ったのだろう。しかし、それとこれとは別である。別でなければならない。カップリングや受け攻めが異なるからといって、不正を働いていいわけがないのである。

 誰かが道理に反したことをしようとしても、どこかでチェックやブレーキが働くのが健全な組織のあり方である。しかし『バックラッシュ!』発売記念キャンペーン跡地の場合には、そうした機能が完全に失われていることを、今回の事件ははしなくも明るみに出したと言える。

 この本を購入予定の皆さんが、この現状を知ることによって、それぞれが判断し行動するための参考にして頂ければ幸いである。