ジョン・マネー氏の「ジェンダー」とジェンダーフリーの「ジェンダー」は同じ概念なのか

中断していたid:makinamikonbu:20051117の続きです。


今日は、一部でごっちゃになっている「ジェンダー」という言葉の定義について検証してみることにします。
牧波さんもよくわかってはいないのですが、現代において使われている「ジェンダー」という言葉と、ジョン・マネー氏が使った「ジェンダー」ということばの違いをはっきりさせることによって、少しでもこの混乱が収まってくれれば……と思います。


ではまず、ジョン・マネー氏の「ジェンダー」について検証してみることにしましょう。

性自認とは前述したように、自分自身を男性または女性として認識することである。性役割とは、男性または女性としての自己認識を表現しているあらゆることがらをいう。性役割は、あなたが感じること、考えること、行なうこと、言うことのすべてを含んでいるわけで、これらのあらゆる言動はあなたが男性あるいは女性であることを――他の人々だけでなくあなた自身に対しても――表しているのである。性自認性役割は、二つの別々のものではない。この二つは、一つのコインの裏表ということわざがあるように、同じひとつのものの違った側面なのである。
性の署名―問い直される男と女の意味』(P.17-18より)

性自認は、性役割を個人的に体験することであり、性役割は、性自認を公けに対して表現することである。
性の署名―問い直される男と女の意味』(P.19より)

性自認・役割は、話し言葉を習得するのとほとんど同じ方法で習得される。
性の署名―問い直される男と女の意味』(P.108より)

これらの主張から考えると、マネー氏は「ジェンダー」に関して、
話し言葉を習得するのとほとんど同じ方法で習得するもの」と考えていたことがわかります。


では、現代において使われている「ジェンダー」の定義はどうなのでしょうか。
八木秀次氏が「解説 ジェンダーフリーの“嘘”を暴いた本書の意義」 でとりあげていた
パンフレットから引用してみましょう。

ジェンダーとは社会的・文化的に形成された性別のこと。「女/男とはこういうものだ」という通念を元にした男女の区別です。「女は家事・育児、やさしい、細やか」「男は仕事、強い、責任感がある」などの見方や、服装、髪型、態度、言葉遣い、色づかい、進路指導・選択、余暇活動の種類などは、「自然な特性」に基づいていると思われがちです。しかし男女の性差はごく限られており、こうした通念や性別役割分担にとらわれた見方をジェンダー・バイアスと言います。人々の多様性、可能性を制約する「ジェンダー」を点検することが求められています。
『新子育て支援 未来を育てる基本のき』(p.5より)


ジョン・マネー氏は『性の署名―問い直される男と女の意味』の中で、“自分自身を男性または女性として認識すること”“男性または女性としての自己認識を表現しているあらゆることがら”を「ジェンダー」だと定義しています。


対して、『新子育て支援 未来を育てる基本のき』では“「女/男とはこういうものだ」という通念を元にした男女の区別”を「ジェンダー」だと定義しています。


さて、これらは同じものでしょうか?
牧波さんにはまったく違う概念のように見えてなりません。